ヨガ と 宝探し


ある場所にね

宝物が眠ってるところがあるとしてね

そこから宝探しを始めるとする




ちっとも見当つかないならば聴き込みから





近くのひとはみんな あっちよ☞

て同じ方向指して教えてくれて




そっち進んだら

今度はみんなが ☟あっちよ

て言う




そうやって色んな場所で

みんなに聞いてくうちにだんだん

場所が定まって

あとはこの辺掘ってみよっか!て

なるよねきっと





どこかの人たちだけの話を信じて

永遠に右に右に進んでも宝に行きつかないという話




ヨガにもいろんな流派があって

それをまたいろんな先生が

いろんなフィルターを通して

周りのヒトに届けようと想いを繋いできたからこそ

いろんな先生の話を聴けば聴くほど

もしかしたら混乱してしまって

どこ向かえば…と呆然とするような難しさがあって






だけど

きっときっとね

伝えたい源の部分はおなじで

どんなふうな表現を使うかが違うだけでね





目の前の言葉そのものだけに振り回されてしまわないように





宝探しの旅の途中で

カラダを必要以上に酷使してしまうことのないように






そうしてお伽話の感覚で

いろんな話を聴いてるうちにね

だんだんにそっと落ち着いていくんじゃないかなと








そんなことを考えて




それではまた